【ニュース】カラオケ動画投稿ダメ…メーカーの権利侵害判決

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カラオケ動画投稿ダメ…メーカーの権利侵害判決(読売新聞) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170511-00050088-yom-soci

あれ?JOYSOUNDが提供する「うたスキ動画」やDAMが提供する「DAM★とも動画」は問題ないんでしょうか。

ライブ配信の場合、カラオケを生中継したら利用制限(BAN)がかかったという話を聞いたことがあります。
恐らくそれは映像を流していたのでそれが主な原因だと思うんですけど。
音源だけで制限がかかったというのは今のところ知らないです。


それはそれとして、自身のカラオケ動画を投稿する人って何を期待しているんでしょう。
自分や友達の間で共有するのはわかるんですが、youtubeで全世界に発信するのがよくわからないです。
雑音だらけのカラオケボックスで、専用の機器で録音するわけでもないので確実に音は悪くなるし、どんなに上手くても自慢できるものとして発信できるものではないですよね。
しかも自分の姿まで映している人がいますが、相当自分のこと好きじゃないと無理だと思います。

この件で「今後”インターネットカラオケマン”が減れば助かる」という声が多いですが、先述したように音源だけなら多分文句言われないような気がするのでニュースを知らない人は今後も投稿し続けるんじゃないですか。


というか最近のyoutubeって投稿の段階で音源を抽出して「この動画には○○という楽曲が含まれているので著作権侵害になる恐れがあります」って機能が搭載されてます。
ちょっとした音源の切れっ端でもアウトになったことがあるのでビックリしました。
カラオケ音源って、ノイズが入りまくるんで抽出できないんでしょうね。
機械的にやってるのか、人の手でチェックしてるのか謎ですが。


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【石郷岡病院】精神障害者への暴行・殺人は無罪なのか【やまゆり園】

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石郷岡病院、患者死亡 「暴行認定できない」1人無罪判決 カメラ映像不鮮明 千葉(産経新聞) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170315-00000035-san-l12

大変ショッキングな報道が飛び込んできました。
このブログでも何度か取り上げましたが、看護師による暴行の結果、意識不明の重体になり患者が死亡した事件。
2人の看護師のうち、1人は暴行罪で罰金30万円、1人は無罪という衝撃の判決が下りました。
暴行罪よりも重い、傷害罪ですらありません。
保護室内での頚椎骨折は認められているのに、どうして傷害致死罪にすらならないのでしょう。
なんと「医療行為だから無罪」なのです。

>判決後、裁判員5人と補充裁判員1人が千葉地裁で会見。裁判員を務めた男性は「5年前の事件で証人の記憶も風化していて難しかった」と話した。防犯カメラの映像について、女性の裁判員は「ビデオが不鮮明で、なかなか判断がしづらかった」と振り返った。

当ブログでは場面ごとに検証しました。

【精神科】石郷岡病院暴行映像を分析【保護室】
http://hound2013.blog.fc2.com/blog-entry-770.html

これだけの映像が残っていながら判断がしづらいとされるのは悔しいことだと思います。

遺族のブログでは引き続き更新がなされています。
弟のこと。~その陽はまだ沈まない~
http://gunter75.blog.fc2.com/

この判決を受けて真っ先に思い浮かんだのは「やまゆり園」の事件です。
多くの命が奪われた戦後最悪の凶悪事件にも関わらず、世間の反応は冷たく、報道内容も軽いものでした。
もしも被害者が健常者だったら社会はもっと違う反応をしているのでは?と非常にモヤモヤする事件でした。
今回の事件を植松被告が知ったらニヤリとするんでしょうね。

もうひとつ、「性の喜びおじさん」と思われる男性が電車内でトラブルになり、男性3人に押さえ付けられて死亡した事件。
弁護士の見解では押さえ付けた男性らは罪に問われないのではと言われています。
ネットでは「いずれ起こったこと。トラブルを起こす方が悪い」という声が多いです。
もしおじさんが例のおじさんなら、だいぶ前から症状がわかっていたのに理解する余裕を持てなかったのでしょうか。
笑われるだけ笑われて、「トゥレット症候群」「汚言症」のことは結局認知されませんでした。

先進国である日本で精神障害者を医療行為や正当防衛行為で誤って殺してしまっても世間の批判もなく、こうして公然と闇に葬られるのです。
日本で精神障害者の烙印を押された瞬間に命が軽視され、法も味方してくれません。
これは他人事ではなく、将来誰の身にも起こりうることなのです。「自分は絶対に精神障害者にならない」という確信はありません。

今回、石郷岡病院の事件では警察が理解を示し、遺族に尽力してくれたにも関わらずこの結果です。
運良く警察が理解しても裁判官が偏見に満ちているならたとえ命が失われても罪に問われないという判例になってしまいました。
医療行為の中でどんなに悪意のある暴力行為があっても、無罪になってしまうんです。

被害者のお姉さんが仰る通り、

精神科病院へは気軽に行かないほうが賢明です。
ひとたび精神科病院へかかってしまうと、いかようにも解釈されてしまうからです。
精神科の患者だと偏見の目で見られるのです。
映像があっても病院スタッフは無罪になってしまうのです。
裁判でも精神科の患者でしょう?と不利な扱いを受けます。
弟のように、普通の大学生だったのが、ちょっとした落ち込みで気軽に精神科病院へ行って多剤処方され
障害者にさせられ、障害者だからと人間扱いされず司法にも障害者だからと偏見に満ちた判決を受けた
弟が不憫でなりません。と同時に精神科病院と関わることは改めて恐ろしいと感じました。

未だに毎月のように精神科から死亡退院する患者が多く、闇に葬られています。
精神科の事件ではこのように映像という証拠があっても被害者不利となります。
日本精神病院協会は痴呆症は精神病であると言っています。
精神科とは無縁だと思っていても、親が関わる可能性があります。
自分だけは精神科とは無縁だ…果たしてそうでしょうか?

http://gunter75.blog.fc2.com/blog-entry-140.html



本当にそうだと思います。
精神科病院には多くの認知症患者がいます。
自分の大事な人が病院内で傷だらけになって亡くなって帰ってきても何の疑問もなく見送ることができますか?

検察が控訴するよう願うほかありません。


【映画】チョコレートドーナツ【ネタバレ】

今日の映画。

チョコレートドーナツ

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アラン・カミング、ギャレット・ディラハント 他

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年末からずっと気になっていた映画。
現在も劇場公開中です。
以下ネタバレ。


●ゲイカップルとダウン症児
舞台は1970年代のカリフォルニア。
ゲイバーで女装して歌やダンスを踊って生活をしているルディとゲイバーに通う検事局のポールは恋仲となった。
ある日ルディが生活するアパートの隣室でダウン症の子供マルコを発見し保護するが母親は薬物所持で刑務所。
マルコは施設に引き取られることになるがルディは自分が育てることを決意。

経済的にも環境的にも子供を育てられる状況にないと判断されることからポールとの関係を親戚同士ということにしてポールの家でマルコの面倒をみることになった。

ところがルディとポールの関係がゲイカップルだと明らかになると直ちにマルコは取り上げられ、ポールも仕事を首になってしまう。
二人はマルコを取り戻そうと奮闘するがゲイだという理由だけで拒絶され、差別的な扱いを受ける。
最終的に黒人弁護士を当たるが、検事は母親に子供を育てられる環境が整っていると証言することを条件に釈放させた。
母親が親権を主張している以上、これ以上打つ手はなくなってしまう。マルコへの接近禁止命令も出される。

マルコは母親と再会した後も育児放棄され、母親は知らない男と薬とセックスに明け暮れていた。
”二人の父親”の元に帰りたいと強く願ったマルコは一人で家を出て、3日後死亡しているところを発見される。
ルディはこの事実を手紙として裁判官や検事に送った。


●実話ではない
公式HPも「実話から生まれた」とはっきりうたった宣伝をしているが、正確には実話ではない。
脚本のジョージ・アーサー・ブルーム氏が30年前に友人から紹介されたゲイ男性からの話に基いている。
近所に売春婦に見捨てられて祖母と暮らすダウン症児がおり、それを見て何も出来なかったこと、もし自分に何か出来るとすればどんなことが出来ただろう、こんなことをしてあげたかったという話から映画化に至った。

ソース元
http://itsconceivablenow.com/2013/02/10/day-tackles-gay-adoption-70s/

だから逆に言えばゲイカップルが親権を巡って差別されたことも、家出して亡くなったダウン症児もいなかったんだ!という少しの安心感。
とはいえ、当時の世相としてそのようなことが起こりえることはあっただろうし似たような事例はあったのかもしれない。


●原題と邦題
原題のタイトルは「Any Day Now」で直訳すると「いつ何時でも」とあるが、由来としては作中でルディが歌う歌詞の意味からとられており、時代の変化を願ったものである。

邦題の「チョコレートドーナツ」はダウン症児マルコの大好物であった。
一見子供らしいと思えるところがあるが、マルコはとても偏食でルディやポールが出す食事を拒否していた。
その背景には食事をまともに与えない親の育児が原因であり、悲しい食生活であったことが伺える。
字幕で訳されていないが「Junkfood Donut」と表現されている。


●マイノリティの奮闘
この作品にはゲイ、ダウン症、黒人といった当時差別的対象として象徴的な人々が登場する。
今でこそゲイや黒人だからといって差別されることは昔よりはなくなっただろうし、障害者に対する見方も変わってきていると思われる。

ルディはマルコを絶対に施設送りにはしたくなかった。
厄介な人間は全員施設送りにすればいいという考え方は日本でも普通のことであるが、施設といっても本人にとって決して居心地の良い場所とは言い難い。ルディはマルコに母性というか、家族的なケアが必要だと強く考えたんでしょう。

障害者、老人、孤児等を扱う施設というのは一度でも現状を見ればわかるがただ生かしているだけというのが印象的だ。
施設職員と被保護者の間には家族的な関係というのは一切存在しない。
そこで人が人らしく生きられるかといったらそうではない。

一方そういう思いで家族が重く抱え込んでしまって、結果死亡させたり、一家心中に至ったりといったことも後を絶たない。
もし自分が障害児一人を死ぬまで面倒見られるのかといったら無理だ。
だから第三者機関のサポートは絶対に必要であるとも思う。

かといって、親権を主張するゲイカップルから子供を取り上げて施設送りが妥当であるのが正解かというのがこの作品の問いかけである。
性的虐待やゲイというマイノリティの中で子供を育てることへの社会の不安は強いかもしれない。
だが作中では学校やマルコから証言を聞いているし、マルコへの愛情の一部は裁判でも認められたにも関わらず、結論は刑務所からヤク中の母親を連れ出してきてまでゲイから遠ざけた。


現代では同性愛カップルが子供を持つという話は普通に聞く。
マイノリティであることには変わりはないかもしれないが、それが変とか、関わりたくないとは微塵も思わない。
それだけ社会は変わっていて、ルディの願いは少しでも叶えられていると思う。