【映画】A.I.【ネタバレ】

タクシーの車体にファイナルファンタジーらしき広告が施されていて、元アイドルがヌード写真集を出すようなことしないでくれよ…と思って調べたらアプリゲーの「グランブルーファンタジー」というゲームの広告だそうで。
おいおい、これはこれでFFの丸パクリやんと思ったら、

サウンドディレクター:植松伸夫。

最近こういうパターン本当に増えたよなぁ。
艦これのプロデューサーも元スクウェアだし、みんな散り散りになってるってわけか。
にしても植松伸夫氏の老けっぷりに時の流れを感じました。
『THE BLACK MAGES』買いましたよ。その一年後にスクエニを退社、起業していたなんて全く知らなかった。

あの植松さんもこの有り様か…




今日の映画。
A.I.

これまた今更観たのかと突っ込まれそうですが、今更初見です。
この辺の時代って『シックスセンス』や『アイ・ロボット』なんかとごっちゃになって観たような観てないようなって感じで微妙だったんですよね。
2000年代初頭、そして自分がまだテレビを観ていた時代の映画ってわりかし似たり寄ったりなテーマの作品が多かった感じがします。
90年代後半から『アルマゲドン』などの世紀末的映画が増えてきて、『デイ・アフター・トゥモロー』なんかも印象的でした。

2000年代後半からは『SAW』とか『キューブ』とかのサイコパス的なものが異様に流行りましたよね。


まぁ、映画の話に戻ります。
細かい場面とかセリフが間違ってる気がするのでその辺はご了承。


地球温暖化などの異常気象で地球は人類絶滅の危機に瀕した近未来。
世界中で人口抑制が行われ、代わりに高性能のロボットを開発する技術が発達しています。
ロボット開発会社の社長は「愛」の感情を持つロボットの開発に着手しました。
男女の恋愛やセックスロボットは既に開発されており、莫大な利益を上げていましたが、社長が作りたいのは親子のような愛情を持ったロボットであった。

そんな中、ある若い夫婦の間には不治の病に侵された子供がいました。
悲しむ妻の姿に見かねて夫は自分の会社で開発中の“愛を持ったロボット”「ディビッド」をを妻にプレゼント。
どう見ても人間そっくりですが妻は気味が悪くなって最初は受け入れ難い状態でしたが、次第に愛着が沸いていく。

それから奇跡的に夫婦の本当の息子が回復して自由に動き回れるようになった。
ところがその息子絡みのことでいろいろと事件が勃発。
ディビッドには何の悪気もありませんでしたが、脊髄反射で夫婦の息子ごとプールに落ちてしまいます。

あれだけ妻に推していたのにこの事態には夫も大激怒。
「愛を持っているのなら憎しみの感情も生まれるはずだ」

そうしてディビッドは相棒の熊さんロボットと一緒に森に廃棄にされることになりました。



ここから一気に急展開。
ディビッドが廃棄された森は他にも故障で廃棄されたロボットが大勢集まっていました。
そこに現れたのはアンチロボット団体による廃品回収。
彼らは落ちこぼれのロボット達を集めて公開処刑をするというショーを行っていました。
森で出会った「ジゴロ・ジョー」と共にディビッド達は彼らに捕まってしまいます。

当時のコマーシャルではこの廃品ロボット達のシーンがピックアップされていたので、印象的に残っている人が多いと思います。
顔のマスクだけが残っていてあとはスッカラカンのガラクタが意思を持って話し掛けてくる。
そのCGの技術がどうやったのかとか、テレビですごくやってた気がします。

だからロボット達の反乱の話かと思ってたんですよね。

ところがあっさりロボット達は粉砕されていき、トラブルの中ディビッドも脱出するのですが、ジゴロ・ジョーもあっさり警察に捕まってしまいます。
個人的にはディビッドが持つ親子愛とジゴロ・ジョーが持つ単純なセクシュアリティな愛がどう絡んで来るのか期待していたのですがあっさり退場。



さて、また場面が変わります。
ディビッドとテディが目指したのは以前ママから聞かされた話「ピノキオ」。
そのおとぎ話の中にはブルーフェアリーという妖精がいて、良い子にしていたピノキオを本物の人間にしてくれました。

どうやらそのブルーフェアリーは地球温暖化でとっくに海に沈んだある場所にいるということがわかったのですが、それは沈んだ遊園地のアトラクションの中にいたブルーフェアリーの人形だったのです。
ディビッドにはそれが理解出来ませんから、そこに留まってバッテリーが切れるまで延々と「僕を人間の子供にしてください」と唱えるのです。
当然奇跡など起こるはずもなくディビッドの機能は停止しました。



それから2000年後。
一見グレイ風の宇宙人のように見える“何か”たちが厚い氷の中からディビッドを発掘します。
現れた彼らの正体はディビッドが機能停止した後に更にロボット開発技術が進んで進化したロボット達。
人類は既に滅んでしまい、このロボットたちだけで地球や人類の歴史について調査を行っていたのです。

復活したディビッドは未来ロボットらが作り出したブルーフェアリーにたったひとつの願い事をします。
「僕を人間の子供にしてください」
しかしそれは叶いませんでした。ただし、
「たった一日だけあなたのママを生き返らせることは可能。でも一日だけ。二度は生き返らない。それでもママを生き返らせるの?」
という問いにディビッドは承諾する。

これまた未来ロボット達が作り出した当時の変わらぬ家。
母は目を覚ましていつもの日常、そして初めての誕生日会をして楽しみます。
あっという間に日没になって、ママは悠久の眠りにつこうとしています。

ディビッドはママの隣で静かに目を閉じます。
永久に目を開けることはないでしょう。





スティーブン・スピルバーグとスタンリー・キューブリックがいろいろ話し合って完成した作品とされていますので、そこかしこに彼らっぽい描写があしらわれています。

この作品もまたそこかしこで考察は済んでいると思うので自分なりに思ったところを書きましょう。

最初の頃、ディビッドはママに「ママはずっと生きているの?」と聞きます。
ママは「そうね、あと50年くらいかしら」と答えます。
それからディビッドは友達ロボットのテディに「ねえ、50年って長いの?」と聞きます。
テディは悲しそうに「50年は短いぞ…」とつぶやきます。

その結果が2000年。
この時間の経過は観客にとってあまりにも残酷な現実を突き付けられた気分になりました。
ディビッドは未来ロボットらに事情を説明された時、2000年という時間をどう思ったでしょうか。


ラストではたった一日の、たった二人だけの時間を過ごし、眠りにつきました。
ディビッドは二度と目覚めることはないだろうと解釈されますが、これは母という存在に真に息子と認められた=人間になったという考え方が出来ますね。
それに当時は「ロボットなので眠ることは出来ないが、静かにしていることは出来る」なんて言っていましたが、ディビッドは本当の眠りにつくことが出来たのです。

これに関してもしかしたら未来ロボットがディビッドに贈った最期のプレゼントだったのかもしれません。
彼らの技術ならばロボットを眠らせることが可能だと思われるので…


で、テディはどうなったんでしょうね。
最後はベッドに上って座ったまま動かなくなる描写がありますが彼もただのぬいぐるみに戻ってしまったのでしょうか。
映画『テッド』を思い出します。



それにしてもモニカの息子があんなやんちゃ坊主だったとは仰天しましたね。
息子マーティンは当初ロボットと人間をしっかり線引きして悪いことをディビッドに吹き込んでいました。
ですが、プールの一件ではディビッドを庇っていたのでそれなりに友情みたいなのは芽生えかけていたんでしょうね。

しかし「おもちゃは壊すから面白いんだ」という考え方やテディへの扱いを見ていると、マーティンはロボットをおもちゃとしか考えていなかったのではないかとも思われます。
あのままマーティンが成長して、ディビッドは成長しないとなるといずれは廃棄される運命にあったのかもしれません。

それでちょっと意外に思ったんですよ。
あそこまで人型ロボットが進歩していたら人はロボットをひとつの“人種”として感情移入していたんじゃないかと思ったら完全に“モノ”としての認識ですよね。
自らが壊れるとか痛覚を持ち、恐怖を感じ得る程、人間に近い感覚を持っているロボットでも壊れたら簡単に捨ててしまう。
人型ロボットが人間並のコミュニケーション能力を持ち、普通に街を歩いているようなレベルだったら、もうちょっと生物らしい扱われ方をされていたんじゃないかと思うんです。
それも既に人類滅亡の危機を察していて、次世代の地球を担う者としてロボットを選択している状態じゃないですか。
アンチロボット団体が出てくるのは良かったですが、全体的に暗黒面ばかり描かれているのでちょっと物足りないというかリアルなところが見えないというか。

人類は最終的にある種ひとつの民族としてのロボットを開発出来ているわけですから、それなりに“情”はあったはずなんですよね。
2000年後のロボットらはお互いに改造し合ったり、開発・進化を重ねる知能を持った結果、ああなったのかもしれませんけど。





映画公開当時、ソニーのAIBOやホンダのアシモといったより生物に近いコミュニケーションが出来るロボットの開発が盛んでした。
60年代~80年代にあった宇宙・近未来への憧れから本格的にロボット開発が進められ、その流れから2000年代ではペットロボットやプリモプエル(バンダイ)も社会現象となっていました。
『A.I.』という映画もかなり前から企画されていたものだが、まさに世相に合わせたような作品で大きな話題を呼んだ。

それから近年に入ってからは感情を主軸にしたロボットの話題はすっかりなくなったように感じる。
最近は災害救助や軍事利用、人間が入れないような場所への探索、超小型化して医学への利用など、人の手で操作して機能性を重視したものの開発にシフトしているように思います。

時々、大学院生とかが人型ロボットなんかを作ったりしていますが、やはり玩具レベルの発展に留まるだけです。


「ハル9000」のようにコンピュータとしての機能性と人間らしい感情を持ち合わせた機械の誕生は途方もない未来となるでしょう。
それにロボットに感情を持たせることの危険性は昔からSF作家が警告を発しています。
感情を持つということは憎しみも生まれる。
その時ロボット三原則は破られる。

ドラえもんのようなロボットが登場したら面白いとは思うけど、それはそれで恐ろしい話ではありますよね。


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【映画】トライアングル【ネタバレ注意】

「スティーブン・キングの作品は面白いよね」というと「スティーブン・キングって誰?」
「じゃあ、星新一はわかるでしょう」「知らない」
「さすがにスタンリー・キューブリックは…」「知らない」
「…」

スティーブン・スピルバーグの名前でようやくわかる人が出てくるレベルである。
世の中の認知度って思ってるより低いものなのね。作品名を出せばわかるんだろうけど、SF好きって意外に少ない。



さて、今日も映画。
トライアングル

ながら見で視聴したので細かい部分や詳しい考察は別のブログなりレビューで補填して下さい。
他のブログさんで詳しく考察されていたんですが、これは考え始めると結果的にまとまらなくなるのでネタバレと要点だけ軽く触れる程度にしておきます。
何気にこれは衝撃的な作品でした。





ネタバレありきの作品なのでネタバレから言わせてもらうと、要するに主人公ジェスは無限地獄のループにハマり込んでしまっているというわけ。

1.息子とのやり取りのあと船に向かうジェス
2.船内で友人たちを殺害をするジェス
3.自宅に戻り息子に冷たいジェスを殺害するジェスが(1に戻る)


このトライアングルを永久的に繰り返しているのです。
この作品に登場する人物は全て人ならざるもの、あるいはジェスかジェスの息子が作り出した幻影・思念であると考察出来ます。
逆にこのことを知っておいてから視聴した方が理解しやすいと思います。
2周目を観るのもいいかもしれませんが。

船の名前「アイオロス」。
アイオロスはギリシャ神話の風の神。
その息子シシフォスはある悪い事をしたので大きな石を山の頂上に永久に運ぶ労働罰を科せられます。
運んだ石は頂上から落ちてまた頂上まで運び直さなければいけません。
シシフォスが犯した罪は「死の偽装」。

という神話に基づく話となっています。


一番に印象的だったシーンは甲板上に大量に積まれたサリーさんの死体の山。
なんかどっかで見たことあると思ったら、穴の中に大量のマリオの死体があるという4コママンガw
アクションゲームではよく穴が即死罠として配置されていますが、特に2D横スクロールアクション全盛だった頃はこの穴はどこまで続いているのだろうかと考えたものです。
「イッキアップ」ってなんだよってw99人のマリオがいるのだろうかとかね。

サリー(だけ)は殺された分だけ残っているんです。腐敗や白骨化もせずに。
するとあの世界では時間の流れもおかしくなっているということがわかります。
個人的に思ったのはジェス自身の罪意識が具体化したものじゃないかと。
でもあれずっと繰り返してたら死体の置き場がなくなるんじゃないのだろうかというツッコミをしてみる。

ジェスは3段階目で記憶がリセットされるというシステムなので何も知らずにまた同じことが始まります。
デジャヴのようなものは感じるようですが。


タイムトラベル・タイムリープものの作品ではよく運命を変える為に主人公が奮闘しますが、多くのSFでは「過去は変えられない」というルールに沿ったものが多いように思います。
デジャヴ』『ミッション:8ミニッツ』などは奇跡的に過去や未来を変えたハッピーエンド作品(後者は並行世界ENDですが)と言えますが、この作品は完全にバッドエンド。

少なくとも同じことを何百回と繰り返しているジェスですから、毎回どこかで運命を断ち切ろうと努力していたでしょう。
しかし他の作品群と決定的に違うことはジェスが生命を持って現実に存在しているかどうかが明らかではないということ。


息子に冷たい母を改めて新しい人生として親子でヨットセーリングというENDを見てみたかったものですが、恐らくそれが不可能になったのはドッペルゲンガー関係のルールが絡んでいるのかな。
それともタクシー運転手(=死神)の呪いで永久に抜け出せない運命なのか…
もしくは全て自閉症の息子の悪夢であったというENDでも構わないから何か救いが欲しかったねぇ。
それにしても息子はヒステリックな母親からは逃れられないからどの道誰も救われないのか。
サイレントヒル式に考えると息子は元々不思議な魔力みたいなものを秘めていたので死亡した瞬間から悪夢が具現化してしまったとかだと恐ろしい話。

でもまぁ先述したシシフォスの神話からいくと「一度死んだ者が蘇り改めて生活をすることは許されない(死の偽装)」のでハッピーエンドは有り得ないでしょうね。
既に死んだ者の罰則なのですから。


ああ、結局いろいろ考察してまとまらなくなりそうだ。
「よくあるB級サスペンスだろ?ながら見でもいいかぁ」なんて思っていると不意を付かれる作品です。
一見の価値有り。


【映画】ニュー・シネマ・パラダイス【ネタバレ】

このブログにも「マイショップ」というものを導入してみた。
でもこのシステムは更新滞りそうだなぁ。広告がウザったくなってきたら消そうかな。
今までいくつもアフィはチャレンジしてきたんだけどアマゾンは1円も儲けたことがありません。
楽天は確かクリック数か何かだったので数百円は稼いだことありましたけど、アマゾンは購入金額なので副収入にも達しない。

自分は基本的にディスり屋なので商品のアピールとか全然出来ないし、何かトークとか芸が出来るわけでもないし。
かといってまとめサイトは他人頼りなのであまり好ましくない。



今日の映画。
ニュー・シネマ・パラダイス

あらすじを読んでもピンと来ないし、長いしで、どうしてこんなに評価されてんだろうかと気になって観てみた作品。

うん。
久し振りに映画で泣きました。
自分のこと屁理屈ばかりのへそ曲がりだと思っていたけど、まだまだ純心な心は残っていたんだなぁ。
それとも年齢的なものかな。もう少し幼かったら「何これ?」ってなっていたかもしれない。


あらすじ書こうと思ったけど、この手の作品はあえて書く必要もないでしょう。
最早ロケ地が観光名所になっているというし、少年時代のトトを演じたサルヴァトーレも今は実業家も兼ねてちょっとした有名人のようである。
それに映画を見たことがない人でもどこかで聞いたことがあるミュージック。
ああ、この作品の曲だったんですね。
これまた曲も番組やCM等多方面で使用されているとのこと。



で、多くの人が号泣する場面はまさにラスト。
サルヴァトーレがアルフレードの葬儀に参加した後、またローマに戻りアルフレードが遺したフィルム映像が再生されるシーン。
この場面で皆さんは何を思ったでしょうか。

アルフレードは神父の言い付けでキスシーンやラブシーンのフィルムは全てカットしていたのですが、それを持ち帰ろうとする少年トトに対して言った「それは全部やるが、今は預かる」というのはこういうことだったのかという意味合いもあるでしょうが、アルフレードがトトに伝えたかった全てがそこに詰まっている。

自分の場合は、きっとトトが感じたであろう懐かしさ、色とりどりの愛、情熱、トトが果たせなかった初恋の虚しさとかそんなものを一気に感じ取って涙が溢れ出ました。

調べたところによるとこの映画は3バージョンあるらしく、バージョンによってこのラストシーンの意味合いが変わるという声もあります。
一番短いものだと、単純にトトが映画への情熱を思い出すきっかけという意味合いが強くなるようです。
確かにローマに帰った直後のトトは周囲のスタッフから「嬉しくないんですか?」と言われる程、神妙な気持ちになっていました。
あのままでは彼の映画人生はどんどん下向きになっていったことでしょう。

でも今映画界で活躍出来ているのはあの小さな村の小さな映画館のお陰。
そしてトトの初恋が成就してあの村に留まっていたらトトの才能が活かされることはなかったかもしれない。
トトが出て行ってからも一日も忘れることがなかったアルフレードの強い親心。


どの道ラストシーンが心に響いた人は多いのではないでしょうか。

初恋が実らなかったことに不満を抱く声もとても多いです。
でも現実だって大体そういうものではないですか?
昔は勉強もろくに出来なかった落ちこぼれが大出世していたところにもリアリティ。
イタリア人らしい恋愛の考え方、描き方のようにも感じました。

アルフレードの「絶対に戻ってくるな」というのは一度戻ってくれば故郷から離れられなくなることがわかっていたからでしょう。
現にトトは「いつローマに戻るのか」という問いに対して「どうしよう。わからない。」と動揺して電話線まで抜きました。
結局初恋の相手を探して知らなければ良かった真実に傷付き、仕事にも手が付かなくなる。

でもまぁエレナが残したメモは余計だったかもなぁ…アルフレードがあえてトトに伝えなかった意図はわかるとして。
せめてわかる場所に置いておけば…とか、あの時トトがメモを発見していれば…とかすごく虚しい気持ちになってしまいますから。
しかもあんな内容を初老になってから読んだら絶望しかないよな。
むしろ結ばれない一途な男女をより強く脚色する為の演出だったのかね。

それからアルフレードが突き放したのは、自身が映画好きであったことも重なって、トトの才能や可能性を見抜いていたのでしょう。
劇中で直接的には描かれていないですが、トトが少年から青年に変わる時アルフレードが「私には見えるんだ」というセリフを挟みましたよね。
その時には既に決めていたのでしょう。



あと何気に気になるのですが登場人物の年齢って具体的にどれくらいなんでしょうね。
トトは10代後半か、20代前半くらいで村を出ていますから50代くらいと想定出来ます。
わからないのはアルフレード。トトと初めて出会った時が40代中盤から後半かと考えると亡くなったのは70代か80代だろうか。
最後の別れの時のアルフレードが既にかなり老け込んでいたので、「えっあれから30年も生きてたの!?」と一瞬動揺してしまいました。
映画館の支配人みたいな人もちょっと年齢不詳w「この広場は俺のもんだ~!」って叫んでたホームレス?に至っては年をとってないように見えたんですが…w
トトの母親は年相応だったけど…



さて、この作品は現代社会に生きる多くの人々の人生とも関わり合っている。
小さい頃に好きなものが出来て、愛を知って夢中になる青少年期、そしてより大きなものに憧れて小さな故郷を後にする。

健全な家庭ならば30年も故郷に帰らない人は少ないと思う。

一方で上京して出戻ってくる人が多いのではないですか?
トトはアルフレードを真の父親のように想い、そして固い決意と、映画への情熱から30年故郷に戻りませんでした。
いや、母親が連絡しなければ二度と戻らなかったかもしれません。
故郷で育った年数より長い月日をローマで過ごしています。


それと、トトが30年振りに戻った故郷の感想。
みんなそれぞれ成長しているけど何も変わっていない。
妹がまるで他人のように感じられる。


これを経験したことのある人とない人ではこれまた感想が左右されるでしょうね。
特に日本人だと“実家を継ぐ”という文化がありますから、故郷の懐かしさなんて1ミリも感じたことがない人もいるかもしれません。
更に近年の若い人だと都市部に住居を置いて、東京に実家があったり、両親とも近い所に住んでいたりしますから…

コミックス版の『ドラえもん』で数十年振りに町を訪れたおじいさんがすっかり変わってしまった町に呆然とする話を思い出しました。
それをドラえもんが昔の状態を写すカメラを使って「懐かしい」と涙と流します。



そんな自分はというと、生まれ育った土地に縛られた人間の側にいます。
でも首都圏だから仕事は東京。地方の狭さも都市の広さも、一日に同時に体験する。
そしてこれまた変わった事情で実家というものがない。あっても帰れない。

およそ10年近く兄と接触がなかったと思いますが、兄が自殺したと知った時も自分の心は揺れませんでした。
死に顔を見てもまるで他人のように思いました。
恐らくトトが妹に感じたそれと近いものかもしれません。

今でも悲しむ母の側から離れる勇気がない。
その点ではトトとは状況が違うのですが…
自分はせめて母がこの世を去る時までは一緒にいたい。




脱線しましたが、アンチな意見があるのも非難はしないけど、人生経験をもっといろいろ体験してから改めて観直してみたら評価がまるっきり変わるのではないですか?
それか世代によっては“フィルム”というものに馴染みがないっていうのもあるのかね。
でも映画技術の移り変わりも劇中できちんと描かれているので、予備知識がなくても理解は出来るはずなのですが。
自分はフィルム映画なんて多分一本も観たことがない。昔はパラパラ画像で声も後で当てていたなんて知ったのは小学生くらいの時だから。




名作だけど二度目は切ない気持ちになりそうだな…


「ゲームプレイ動画」「ゲーム実況プレイ」は違法なのか

今日の話。「ゲームプレイ動画」「ゲーム実況プレイ」は違法なのか。

これは動画投稿サイトが普及してきてからずっと議論になっています。
結論から言うと「違法」なのですが、公式に認める流れが出てきているので、ちょっと考察。

これがまた各メーカーによって判断基準がまちまちで、公式にOKとされる場合もあればNGとしているメーカーもあるようで、各メーカーの対応につきましては以下をご覧頂ければ詳細が載っています↓
http://www18.atwiki.jp/live2ch/pages/157.html


中でも注目した方法として、

・任天堂の場合
個人的にはこれが一番合理的だと思いました。
要するに任天堂が発売したソフトのプレイ動画がアップロードされた場合、そのページの広告収入がサイトではなく任天堂に入るという。
つまり任天堂は「どんどんアップロードしてくださいね」とはあえて公言せずに安心して黙認が出来る。
メーカーもサイト運営者(訴訟にならずに済む)もアップロード者も視聴者も誰も損をしない完全Win-Winの方法である。

議論するまでもなく任天堂のソフトのプレイ動画は“宣伝効果”になっているわけです。
「逆に動画を見て買わないと思う人もいるかもしれない」という意見など関係なく広告収入が任天堂に入るのですから非常に合理的です。


・一部オンラインゲームソフトはアップロード&実況を認可
スクエニやセガが発売している一部オンラインゲームは公式にライブ配信を認めています。
SCEやコナミ、海外メーカー等もオンライン化に伴って配信を認める流れになってきています。

ゲームそのものがオンライン前提のものが増えてきていて、ライブ配信することによってゲームが盛り上がるという考えでしょうね。
掲示板やらSNSやらを使うより遥かに効率的と言えます。
これらも公式に認められているので議論する必要はないでしょう。


・人気実況者にアップロードを要請
非オンラインゲームの中にはメーカー側からアップロード者に公式に要請して実況してもらうという事例もありました。
アップロード者はメーカーからソフトを無償で提供してもらう代わりに実況動画をアップロードするというもの。
これは人気実況者が動画投稿サイトにアップロードすることは宣伝・集客効果に繋がると公式に認めているようなものです。
人気実況者がアップロードしているのだから一般人でも構わないだろうというとこれはグレーゾーンとされるようです。

また開発者がプレイしてアップロードする例もあり、公式で広報宣伝の方法として利用している場合もあります。


・メーカーの許諾を得れば認可されるケース
フロム・ソフトウェア等はそうした対応をとっているようです。
基本的にはこの段階を踏むのが常識的と言えますが、あまりそういうことをする人はいないようです。
「許諾を得れば~」と記載していても黙認という対応をしているメーカーが多そうです。
議論の争点になるのはこういったメーカーのソフト。
いくらアップロード者が「許可をとった」と言われても証拠を示せるものがないですからね。



・NGとされるケース
発売直後のゲーム、ネタバレが重要視されるゲーム、恋愛シミュレーションゲーム、他多くの権利が絡んでるゲーム等が挙げられます。
wikiには書かれていませんが、大手ではバンダイナムコゲームスが挙げられ、スパロボやサモンナイトにおいて起動時に動画配信は認めないメッセージを表示しています。
バンナムは恐らくキャラクター関係の版権がガチガチだと思われるので公式に認可する云々の問題以前に版権元が認めずに警告メッセージの表示に至ったのだろうと推測します。
もしスパロボのプレイ動画を公式に配信するとなればサンライズをはじめとする大量の版権元の許可をとらなければいけなくなると思われるので例え許諾を得ようとしても却下されるでしょう。

また小規模のメーカー及びインターネット上で個人が公開しているフリーゲームでは訴訟に至るケースもあったようで、この手のゲームでは動画配信されることは会社の宣伝利益にはならないと考えているからでしょう。
あるいは勝手に使用されたことへの怒り等。



メーカーによって実に様々な対応がとられているのでプレイヤー側からすると「あのメーカーが認めているのだからこのソフトも構わないだろう」という解釈をしてそうした境界線を考えずに配信している人が多いのではないでしょうか。

自分自身はプレイ動画に賛成派な人間です。
オンラインゲームが主流となった現在では旧世代の名作というのがどんどん過去のものとなっていくのが寂しいのでプレイステーション、更に遡ってファミコンソフトをプレイ動画としてアップロードされ、盛り上がりを見せていることは、認めてもいいんじゃないのかなと思います。
特に最近はゲームアーカイブスやバーチャルコンソールが充実してきていて過去作への再評価、また2000年代に誕生した世代が古い世代のソフトへ興味を持つきっかけにもなっています。
今“ガラパゴス化”と言われるゲーム事業に必要なのは風化寸前の名作を動画という形で残し、願わくば昔のゲームが改めて盛り上がりを見せようものならゲームファンとしてこれ以上のことはないでしょう。
例えばスーパーマリオ64発売から15年以上経ってRTA(リアルタイムアタック)が流行りました。
ポケモンは今や生放送ありきだし、あのマインクラフトもニコニコがなければ日本でここまで流行らなかったような気がします。
もしそうした形でかつて遊んだゲームが盛り上がってくれるなら動画配信に賛成です。

昔の、ファミコンやスーファミの時代というのはタイトル画面で待っているとデモムービーというのが流れてスタッフによるプレイが流れます。
当時のゲームソフトのコーナーにはほぼ必ずデモムービーが流れるテレビが数台設置されていました。
多くが自分には出来ないようなスーパープレイで毎度驚かされたものですが、いつの頃からか、今のゲームにはそれがありません。

その次の時代では雑誌やイベントで体験版を配布するということにかなり力を入れていました。
当時はまだネットが普及していない頃ですから、期待のソフトを序盤だけでも動かせる、しかも無料で、というのはとても衝撃的なことだったのです。
今でも体験版というのは配信していることもありますが、それほど見かけなくなりましたね。
PS時代はほとんど体験版をプレイしてゲームを買うかどうか決めることが多かったです。

今は自分自身もゲームをプレイする時間があまりないというのがありますが、プレイ動画を見てゲームを購入する割合がかなり大きくなりました。
ゲーム雑誌も今はもう読んでいませんから最近のゲーム情報自体疎くなっていますが、全く知らないゲームをたゲーム実況者が生放送していて購入というケースが増えました。

ゲームは実際に動いているところを見せることが大きな宣伝方法となりますが、それがアナログなものからインターネットに移っていった。
しかし個人がメーカーの許諾を得ずにやっているのが問題というわけで。
必ずしも個人が悪用しない可能性はないですからね。一応「ダメ」という姿勢はとっておかないと。


よく「見てる奴って馬鹿なの?友達ん家でプレイしてるの見る感覚?」という意見がありますが、あくまで作業用BGMで休日とかで映画の合間に休憩として流すと良い感じで。
さすがになんかどっかの会議室借りて、有名実況者がプレイするだけのイベントとかは引きましたけどね。
しかもその中に毎度再生数が二桁止まりの頃見てた人が入っていて、コミュニティも数千人になっていてちょっとガッカリした。
有名になっちゃうとなんかつまんなくなるのはなんでだろうね。


さて、一方ゲーム各々には多くの開発スタッフが関わっていて、特にデザイナーの方々はプレイ動画についてよく思っていない方が多いようです。
自分はあるゲームの実況動画をシリーズで追っていった結果、素晴らしいゲームやデザイナーさんに出会うことがありました。
それがきっかけで芸術界の中を覗き見たことがあります。
デザインされる方々にとってはお金の問題ではなく(もちろんお金も重要ですが)、自分がデザインしたものを勝手に転載されることに傷付いてしまう。
その気持ちも理解出来る故にプレイ動画を100%肯定出来るかと言えばそうでもなくなる。
なので単に任天堂式に解決出来るかといえばそうではないと思います。

そしてそれが小さなメーカー、小規模のスタッフになるほど作品に対する気持ちは大きくなると思うので、他人に評価されることを喜ぶか怒るかというのは人によって振れ幅が大きいですよね。
自分なんかだと勝手に転載されてると喜んでしまうタイプなのですが、勝手にネット上に公開してほしくないと思う人がいるのも確か。
あとお金が入ってくるなら勝手にどうぞというデザイナーさんもいるので本当に複雑。

まぁ大手はもっと任天堂式にしてもいいんじゃないかと思うけど、あれは自社キャラクターを多く持っていて、組織が大きいからこそ出来ることであって他のメーカーが簡単に出来ることではないでしょうね。



まだ動画とかが個人で簡単にアップロード出来る時代の前はドット絵とかフラッシュでそういった議論があったんですが、その時の某メーカーは「本当はダメだが黙認している」という回答をしている。
その時代から今っていうのは実はそんなに変わっていなくてまだまだグレーゾーンとされるものはたくさんあるわけで…
オリジナルの作品とされているものだって、映画や小説のツギハギなものがほとんどで、100%オリジナルと呼べるものなんてこの世にないんじゃないかと思います。

難しい話だけど、各メーカーが黙認からきちんとした境界線を引いて一定のルールを設ける方向に進んでいるのは悪い傾向ではないと思います。


【映画】潜水服は蝶の夢を見る

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「生きるってなんだ?」

ある日突然ドライブ中に脳溢血を起こして意識を取り戻し、医師から自分に起こったことを説明された時に主人公ジャンドーがまず始めに思ったことである。
このセリフ全てに尽きる映画です。

体で動く部分は左瞼と眼球のみ。
見えるのに右瞼はマヒしているから縫われてしまう。
唇や舌はわずかに動かせるが、食事をすることなど不可能だ。

ジャンドーは作業療法士に瞬きで伝える。

「死にたい」

作業療法士はその気持ちに激怒するが、怒りたいのはジャンドーの方だろう。
五体満足の作業療法士に一体何がわかるというのか。

ジャンドーは脳溢血を起こす以前は雑誌の編集長であった。
それも結構華やかな生活をしており、家族は少し複雑だが、仕事や生活はそれなりに充実していた。
その生活がたった一瞬で、“植物状態”になってしまう。

まるで永久に見捨てられた重たい潜水服のようである。
見えるのに動かない。伝わらない。感じない。


この映画は実話に基づく話で、ジャンドーは本を出版した10日後に死亡。




いろいろと考えさせられる映画です。
まず思ったことはここまで生き地獄のような状態で生かし続けることは本当に人道的と言えるのか。
次に思ったことは潜水服を着ているのは健康な人間でも同じではないかということ。

「生きるとは何か」
というシンプルな人生のテーマについての疑問を我々は気付いていながら気にしないようにしている。

関東の主要路線だけ、午前中だけで4件もの人身事故が起こった。火曜日の出来事であった。
それが自殺なのか事故なのかはわからないが、時間帯からみて自殺が濃厚。

年間の自殺者は減り続けているとはいえこうして身近に起こる人の死をほぼ毎日見聞きする度に彼らがどういう気持ちで逝ってしまったのか、考えざるを得ない。
自ら死を選択する人々は例え健康体でもまるで自由の利かない潜水服に閉じ込められているのだ。


仕事仕事で休みがない、上からの圧力、下への教育、会社のプレッシャー。
仕事もせずにニートをやっている。親の遺産もあるので無職でも一生暮らしていけるが、社会不適合者として一生社会に出ていけない、
彼らは「生きている」と断言出来るだろうか。
そうした日々の結論が「生きるってなんだ?」である。

自分が小学生時代引き篭もっていた時にそんな閉塞感を感じた。
逆に学校に行き始めて試験や進路に悩まされる、それもまた閉塞感。
好きな仕事には就けたが一生このままというわけには行かず逃げの姿勢で生き続けている自分。


そういう風に悩んでいる人々全てが生活という潜水服の中に縛られているのだ。
睡眠や趣味、家族の中に生き甲斐を見付ける必要があるが、そうした逃げ道さえ塞がれる世相。

自分はニートが嫌いだけど、ニートの中には自分が社会不適合者だとわかってしまって自己嫌悪に陥る人もいる。



ジャンドーと違うところは健常者には自ら死を選ぶという選択が出来るということだ。
ジャンドーは医学的に可能だからと不自由なまま生かされ続けるだけ。
どんなに笑顔で話し掛けられたって絶望しかない。

そう、この映画のもうひとつのテーマはそこだと思う。

苦しみながら生き続けることが本人にとって本当に幸せと言えるのだろうか。
こういった状況に陥った時に安楽死を選択する制度がなければいけないんじゃないかと思った。
もし自分がこうなったらって考えると毎日死ぬことしか考えられないな。
それかジャンドーみたいにひたすら哲学と夢想に徹する。

失念してしまいましたが、海外で安楽死を患者に行っていた医者のドキュメンタリーがあったなぁ。誰だか思い出せない。


まぁ自分も不自由の身になってでもいいから一冊でも本を出版してから死にたいですね。
あとそれから、主演はジョニー・デップじゃなくて良かった。


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