わくわくさんとベビーカー

かなり前の記事になりますが、こんな話題がありました。

日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか
http://president.jp/articles/-/13600

少し話題に出遅れましたが、面白いポイントを突いているのでぜひ読んでほしいです。


>ついでに子ども用品や自分の荷物も載せたり吊るしたり。例えは悪いかもしれませんが、スーパーのショッピングカートをそのまま店外に持ち出しているようなものですよね。

>でも、周りは大変です。最近、キャリーバッグを引いている人がやたらに増えていますよね。僕もたまに使うことがあって、
「荷物が格段に軽くなって楽だな~」とコロコロしています。でも、ちょっと気を抜くと周囲の他人に迷惑をかけているのです。
キャリーバッグが他の人の足にぶつかりそうになったり……。




これは2chでも結構な議論になっていたんですが、先日わくわくさんのブログを見ていたらこんな記事が…

くぼたまさと・どっとこむ
http://www.kubota-masato.com/memorandum_01.html

>数か月前にベビーカーを広げたまま電車に乗ってもいいというようなことを発表されましたがこれもどうかと思いますよ。
>乗客もけつまずいて危ないしもちろんベビーカーに乗ってる子供の方がもっと危ない。
>それにこの頃よ~く見てるとなにもベビーカーに乗せなくてもいいような大きな子どもを乗せてる親がもの凄く多いんだ。




上記インタビューでも最近のベビーカーについて語っておられます。


わくわくさんこと久保田雅人氏は教員免許も取得しており、子供も3人育て、更には23年間子ども達の顔として番組で活躍してきた子供に対する良い面も悪い面も熟知しているスペシャリスト。
番組が終わった後も全国各地の幼稚園、保育園、イベント会場等で工作ショーで活躍しています。
自分も物心付く前から『つくってあそぼ』を観ていて、NHK教育の中では最も好きな番組でした。
先日は地元で行われた工作ショーにも出向き、時間がない中、握手して頂きました。

そんなわくわくさんと自分の考え方が同じだとは…
というか番組終わってから結構自由に発言されるようになって意外だなぁと思うことも多々。
過去のブログにも良い事たくさん書いてあります。


さて、ベビーカーの話に戻るのですが、酷い時は子供すら乗っていなくてただの荷物置き場になっていたり、ラッシュ時に突入してくるのも本当にいます。
冒頭の別の記事の方もそうですが、ベビーカーは助けなくていいと思います。
ベビーカーを助けるくらいならヨボヨボの高齢者や怪我人を助けます。

自分もこのブログで過去に散々書いてきましたが、ベビーカーとキャリーバッグほど駅構内及び電車内で邪魔なものはありません。
それにわくわくさんも指摘している通り側に旦那や他の家族がいたりしたり、明らかに4、5歳と思われる大きな子が足をブラブラさせてベビーカーに乗ってる。
更に動画の方でわくわくさんが語っていますが、親子が電車に乗るなり優先席へ一直線。
優先席でなくともとにかく最近の子供は「座りたい座りたい」と言います。
うちの親は幸いにもベビーカーを使わない人だったので電車に乗る時はいつも立ってた記憶があります。

これの原因ってやっぱ親なんですよね。
ベビーカーとは関係ないですけど、子供が親に対して「おいで!」って言うんですよ。
「こっち来て!」とか「早く来て!」じゃなくて。
まぁ親がいつも子供に対して「おいで!」って呼んでるのを真似してるだけなんだろうけど、あれすごく違和感あるんですよね。
親が主導権を持っていない表れというか…


冒頭の記事とわくわくさんの意見両方に共通することは、ベビーカーは親が楽をする為にあって、子供の安全を配慮していないということですね。
まぁこのベビーカー論争にはいろんな意見があると思いますが、わくわくさんを見てきた今の若い親御さんにこの言葉が響いてくれるといいなぁ。


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MOTHER3を語る


MOTHER3MOTHER3
(2006/04/20)
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MOTHER 1+2MOTHER 1+2
(2003/06/20)
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MOTHER3』のゲーム実況を見て改めてこのゲームについて語りたくなってきました。
というかもう8年前の作品になるんだね。
MOTHER2』からの12年はあれほど長く感じたのに、この8年はあっという間だった。

当時の自分たちにとって3の存在は都市伝説レベルに至っていました。
画像やタイトルがちょこちょこ情報が小出しにされて、しかもまだネットもそれほど普及していない状態だったので本当かガセかも見分ける手段はありませんでした。
それもしょっちゅう「開発中止」の知らせが入ったものですからもうこれはお蔵入りになるものだと思って、きっと発売することはないだろうということで確信していました。

それから時が経って高校生になりました。
もう3なんてどうでもよくなってたと思うんですが、GBAで出るということ、そしてその開発画像が流れた時、激しいショックを受けました。
「え?こんなんで出しちゃうの?」
2の旅情的な雰囲気とは一転、グラフィックも一新されて求めていたものとは違うものでした。

2では未来の世界に行く前のデータを必ず残して、自宅からオネット、ツーソン、スリークとただ歩くだけで楽しかった。
そんなMOTHERを求めていたけどこの世界観ではどうやらそんな雰囲気ではない。


不安を抱きつつ発売日に購入して、約30時間後…
涙が止まらないラスボス戦。
まんまと泣かされてしまいました。全然泣くつもりなんてなかったのに。
2のラストも同じような感じなんだけど、家族の話ってずるいなぁ。

というわけで基本一方通行のシナリオとなり、2のような自由度の高さはなくなりましたが、これまでのMOTHERシリーズと隔てて考えればすんなり受け入れられました。


●エンディングの解釈(以下ネタバレ注意)

◆いててっ!
 
◆よくみてあるいてくれよ!
 まえが よくみえないのか?
 
◆だいじょうぶだよ。
◆これは ゆめじゃない。
 
◆きせきだ きせきだよ。
◆どうやら みんなが ぶじらしい。
 
◆なにもかも
 はかいされたかと おもったが
 だれもかれもが
 みんな いきてる!
◆きせきとしか いいようがない。
 
◆ドラゴンのふっかつが
 すべての いのちに
 ちからをあたえたのか・・・。
 
◆あんときは こわかったけどねー。
◆でも のどもとすぎれば
 あつさを わすれるって こと?
◆とにかく みんな ピンピンしてるもの。
 
◆こーわかったよねー しょうみなはなし。

MOTHER応援ページ
http://soto.aikotoba.jp/mother/mother00.htmより抜粋



冒頭部分の会話だけ読んでもこれやっぱ死後の世界かなって思っちゃうんですよね。
これは実際に死んだらこうなるんじゃないかって子供の頃よく想像していた感じと全く同じなんです。
多分死ぬ瞬間はすごく怖いんだけど、意識が蘇ったら自分の身体がなんともないことにビックリして死んでることすらわからないんだろうなって。逆に生きてるって錯覚してしまうんじゃないかって。
この最後のセリフを初めて読んで直感的に感じたことってそれなんですよ。
彼らは肉体を失ってしまったことに気付いていない=真っ暗。
ポーキーが嬉しそうに転がっているのは肉体から魂が開放されたから?(はっきりポーキーと明記されていない点も)
本当はそういう風に結論付けるのってすごく嫌だし、やっぱ彼らには生きていてほしいって思うんだけど、どうしてもそれは納得がいかないんですよね。

イデオンのラストってこんな感じじゃないですか。
イデの力で全て破壊されてしまうんですけど、彼らは蘇って、新しい世界を築いていく。
破滅することで争いを終わらせて救われるという皮肉がこめられていると思うんですけど、タツマイリ村の人達も世界の破滅から一旦逃れることは出来たけれど、結局人間的な欲求が溢れ出てそれがまた破滅を呼んでしまった。
もし「闇のドラゴン」の伝説が本当ならばドラゴンは人間に破滅という救いを与えたと思うんです。イデの力と同じように。
だからリュカが抜こうが、クラウスが抜こうが、破滅は免れられない結果だったのだと思います。
破滅という結果をどう捉えるかという問題。
それから世界の破滅から復活というのはキリスト教(ヨハネの黙示録)を連想させられた。

◆そっちの せかいは
 どんなふうだい?
◆こっちは なんとか
 やっていけそうだけど・・・。
◆そっちは だいじょうぶかい?



現実的に考えるとプレイヤーをMOTHERの世界から引き離す場面になっているとも感じた。
舞台の幕が閉じられて暗いカーテンの中から役者が挨拶してるような感じ。
プレイヤーは舞台の上にいるままだから周りが見えない、そしてドアノブを拾う。
ドアノブを手に入れたプレイヤーはドアから舞台の外(そっちの世界)へ出て行く。
プレイヤー含めて全員が舞台の上にいたのだ、タツマイリ村で違う自分を演じ続けた村人達のように。

プレイヤーが出て行って初めて?が取れて本当のENDになる。
するとその後スタッフロールが流れるのも納得がいく。


●ポーキーについて
『サウスパーク』のカートマンがチラつくキャラクターで、またゲーム界一の問題児とも言えますよね。
糸井氏へのインタビューで、

>遊びから悪ふざけ、悪ふざけからやってはいけないこと、やってはいけないことから犯罪というのと同じように、なにかキッカケがあれば、もともととてもいい人であっても悪いことでもやっちゃうんですよ。
http://www.nindori.com/interview/m3/m3int_10.html



これはヨクバについての意見なんですが、ポーキーにも言えることです。
それはMOTHER2のポーキーを見てると顕著に感じられること。
ただ悪役という言葉を具現化しただけのキャラクターではなくてきっと誰でも彼に対して100%の憎さは感じないと思うんです。

彼は友人や家族への歪んだ固執から大人になることさえ忘れて最終的に死ぬことさえ許されない身体になってしまいます。
(没データではマシンが壊れて死亡すると思われる)
彼にとって死ぬことと生きること、どちらが幸せな結果なのでしょう。
3であんな姿になってしまえば死なせてあげてほしかったとも思うのですが、彼が求め続けた友情や愛情に対して一瞬でも手を差し伸べる人はいなかったのかなとも。
弟のピッキーは優しい子だったのに、弟を頼ることはできなかったのだろうか、あくまでネスに対する固執だけがここまで肥大してしまったのかいろいろ考えてしまいます。

ポーキーみたいな人は現実にもきっとたくさんいると思うんです。
人としての道を外してしまう前に、こっちの世界に引っ張りあげられる状態の人間をもっと救うことは出来ないのか。
また自分自身がポーキーになっていないか、求めるものが歪んだものになっていないか、立ち止まって考える必要がある。





糸井さんも「どうとでも解釈出来るような作りになっているはず」と発言していますし、これはプレイヤーに完全に委ねられているとしか言いようがないし、糸井さん自身がプレイヤーに結末を与えているので、本当にこれは我々の感覚それぞれになるわけです。
いろんなブログ読んでなるほどなぁと思える考察はたくさんあるのでひとつの結末と決めずにさまざまな解釈を見た方が良いです。



沖縄版スティッチは何故こんなに面白くないのか

リロ・アンド・スティッチ ザ・シリーズ』全話観終わった。

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DVD最終巻のボーナスコンテンツに沖縄版『スティッチ!』の第一話が収録されていたので観たがあまりにも酷い落差。
ザ・シリーズが終わってしまうのが名残惜しいのでやっぱり沖縄版も借りてみようかなと検討してみたが、やっぱり止めた。時間の無駄。
以前にも記事に書いたと思いますが、改めて沖縄版スティッチが何故こんなにつまらないのか調べてみた。
同じ感想を持つ人が多いのか、検索するとこんなことに…↓
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●豪華声優陣・山寺宏一の無駄遣い
声優はハワイ版からそのまま引き継がれ、スティッチ役の山寺宏一をはじめ、主人公のユウナ役にくまいもとこ等、ビッグネームがぞろぞろ揃う。
そのお陰でキャラクター表現はよくできていると思うのだが、演出、脚本が全く面白くないのでハワイ版で活かされたキャラクター達の指揮がとれていない。
特に観ていて辛かったのはスティッチ。
沖縄版でも少し喋ることが多くなったくらいで性格はそれほど変わっていないのだが、ハワイ版のスティッチを沖縄に持ってくるのはあまりにも無理があった。
山寺宏一氏は「今までに最も気を遣ったキャラクターはドナルドダックとスティッチ」と語っているくらいスティッチの存在は大きい。
その話を知っていただけにこんな酷い脚本で大変だったろうなと画面から伝わってきてそれだけで辛かった。
他、ジャンバ役・飯塚昭三氏、プリークリー役・三ツ矢雄二氏等レギュラーメンバーもそのままで壊れたキャラクターをどう活かせるか、声優陣は悩まされたのではないかと勝手に心配してしまった程。

日本でスティッチの名を背負って新たな作品を描くわけだから声優陣には配慮したと思われるのだが、見事なまでの無駄遣い。
猫に小判、豚に真珠というか、素人がどんなに良い道具を持ってても使いこなせなければ意味がないとは、こんなに悲しいものなんだな。


●制作はマッドハウス、第三期はシンエイ動画
天下のディズニーが一体どこのド素人に制作を任せたのかと見たら、なんとマッドハウスにシンエイ動画。
マッドハウスは『カードキャプターさくら』『MONSTER』『DEATH NOTE』『BLACK LAGOON』等、原作ファンも納得の出来栄えにし、近年では『サマーウォーズ』といった映画作品で大ヒット。
言われてみれば確かに、と思えるところが所々感じられたが、中でもオリジナル作品の『電脳コイル』のノリに近いかもしれない。
また、監督、脚本もベテランで悪いところは見当たらない。

第三期を担当したシンエイ動画はお馴染みクレしん・ドラえもんを作り続けているところ。

なんというか、スティッチの世界観を日本に持ってきたこと自体が間違いだったのだなと実感。


●リロ「新しい家族を大事にして」
沖縄版第79話で登場するリロ。
この話もハワイ版を知ってる人間にとってはあまりにも衝撃的な展開というか、これよくディズニーOK出したなと思った。

あらすじを書くと、ある日突然現れたリロらしき少女はリロの娘であった。
そう、これはリロとスティッチが出会い、イトコ探しをしてから20年後。
リロは大学進学の為、スティッチは銀河連邦の任務の為に別れ、4年後に再び会うことを約束した。
が、リロは約束の当日に姉の出産に立ち会う為、スティッチとの約束を果たせずにまた時が流れる。
沖縄で再び出会うとリロに喜びの表情はなく、「新しい家族を大事にして」と名残もなさげに去ってしまう。

劇画・オバQ』を思い出してしまった。
社会に出て、結婚し、子供が生まれると子供の頃の楽しい思い出などあっさり忘れてしまう。
その気持ちはわからなくもないが、『リロ・アンド・スティッチ』のテーマが「オハナは家族、家族はいつもそばにいる。何があっても」だし、一家の家訓みたいなものだったからショックを隠せなかった。
ジャンバやプリークリーにも挨拶無し。
一応ティーンエージャーまでは一緒に暮らしてたんだし、家族としての意識は強かったと思うんだけどね。
新しい家族と一緒にいたからって途端に突き放すって…

ストーリー構成的にこうするしかなかったのかもしれないが、こんな風にするならリロのエピソードなんて出してほしくなかった。
79話を観るまで「これはパラレルに違いない」と信じたかったが、こうして世界の繋がりを突き付けられると現実を受け入れるしかないのかね。
まだ『スティッチ!』のストーリーがしっかりしていたら受け入れられただろうけど、この世界にスティッチを託すのは視聴者としては納得のいかない流れではないだろうか。
自分としてはスティッチはハワイに戻ってリロ達とまた一緒に暮らしてほしい。
あまりにも原作テーマを粗末にし過ぎ。いくら大人になったとはいえリロはあんな風にならない。
作画崩壊のベビーシッターまでお見舞いされた。


●スティッチの皮を借りた同人アニメ
とあるところで「スティッチがいなければ三流以下のアニメ」という意見も見掛けた。
確かにこれがスティッチではなくオリジナルアニメでやったとしたら子供も観ないレベルだろう。
『リロ・アンド・スティッチ』があったからこそ作れたのに原作を全く尊重していないというところがね…

極めつけは「試作品」「エイリアン」「妖怪」等などが混同して全く整理されていないところ。
エイリアンですら存在していたら有り得ないのに妖怪まで当たり前のように出てくるとか。

あと何気にハムスターヴィールのことはザ・シリーズの頃から一人だけキャラが飛んでて嫌いだったんだけども、日本風のキャラが際立って更に嫌いになった。

こんなのがゴールデンタイムに、しかも第三期まで続いていたと思うと恐ろしい。
いくらディズニーとはいえこれは引いてほしかったなぁ…リロ・アンド・スティッチが良かっただけに大きな汚点。
ミッキーマウス、くまのプーさん、スティッチというディズニー三大人気キャラクターと呼ばれるに至ったからにはこんな歴史を残してほしくなかった。


というわけで口直しに本当の完結編である『リロイ・アンド・スティッチ』を観てザ・シリーズをスッキリ〆ようと思います。
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